ZetaTalk:Mixed Goals:ミックスされたゴール
記:2000年10月15日著
異星人の規則と人間の規則の間の混乱は両集団の目標に拡大します。自然のままで、比較対照の基盤が少しも無いにもかかわらず、人間達は自分達の世界と同様に、同じ規則の下で宇宙が活動していると想定します。霊魂達が束縛無しに互いに影響を及ぼすことを認められている3次元の世界では、3次元の世界の霊魂達が許されているので、殺すか、あるいは健康への看病が生じ、重荷、もしくは束縛への隷属とそこからの開放が起こります。
霊魂は、多くの転生の間、変化を齎すために手段が人間によってとられる時、これらの環境を体験し、更に起こっている事を体験するか観察するかどちらかをします。人間達は、この様に宇宙が同じ様式で活動すると想像していますが、実際は違います。3次元の生活は3次元の世界に限られ、宇宙旅行もそれを提供する科学技術への接近も認められません。
3次元を超えたことの格付けは、科学技術を通して、より多くの力を持つこと、従って新しい規則を必要とします。悪意者側の人々は、そうすることを許されると、際限無く、弱い文化を奴隷化するので、それで抑制されます。
人間が異星人の規則に関して抱いている困惑と、異星人が容易に人間を思い通りにすることが出来ないように施行されている規則命令を考慮に入れると、嘘に関して混同が存在します。この事は呼掛けがなされたと考えられる協議の延長であるので、虚言が許されます。問題を協議する二人の人間達は、見せ掛けの印象、抑制された事実を、もしくは会話の通常の部分としての事実に関する疑う余地のない巧みな操作を見出します。
善意の人々でさえ自分自身を騙すことが可能なので、恐らく羞恥心の問題であるとすると、自分達自身の個人的な計画は自分達自身にとっても明らかではありません。
- 人間であろうと異星人であろうと、悪意者側の人々は良心の呵責無しに嘘をつくことに関してーー彼らは、懲罰、もしくは反撃を避けるために、もしくは、より強力に自己権力の強化を感じるために正に権力抗争の結果として、他の者に影響を与えるために嘘をつきます。この様に、異星人達、悪意者側の人々は、人間に嘘をつくのですが、呼掛けによる協議がもたらす影響力を超えて、そこで中断します。人間は依然として真実を自由に発見しています。
- 善意者指向の異星人達は、知る必要が無い事実で他者を傷つけることを避ける為の「善意の嘘」の範疇以外の嘘を避けます。★プレアデス人達は、人間達には為す術の無い出来事としてポール・シフトを見ているので、この様なニュースにより自分達自身を傷付け、彼らの生活を破滅させるというのが、ポール・シフトについてプレアデス人達が話さない理由です。我々ゼータは大抵の場合、これ等のタイプの「善意の嘘」を避けるので、ユーモアが無く、無愛想で、感情が無いと思われています。
混乱のもう一つの問題は、何故、私達、もしくは他の異星人達が、この地球に存在するのかということについて展開します。次第に近づくポール・シフトの到来に伴い、宇宙の兄弟として、人類の救助と救援の為に、異星人達が、ここに存在するという人間にありがちな思い込みが存在します。人類の救助と救援の為に異星人達が、ここに存在する、もしくは、これが異星人の計画であるという想定は、幾つかの点で間違っています。
- 人間社会に於いて、人間の生命だけではなく、偉大な芸術、絶滅の恐れのある種、国家的な遺跡、非常に美しい俗塵に汚されていない遺跡、そして科学技術の進歩を支援する知識の深みをも救おうとする大きな流れが存在します。
ハリケーンが接近しているなら、安全地帯に移動出来るものなら何でも移動しようとする大きな流れがあるので、失われないでしょう。この事は、勿論、変換に対して模倣された人間の文化を荒廃させる来たるべきポール・シフトの場合ではなく、人間の文化が以前の様に回復でき、又回復するだろうことを想定しているので、異なった文化が、地球の優勢なものとして出現するでしょう。
- 再転生が実在し、すると魂により繰り越される過去の経験の知識それ自体が、どの既存の生涯の長々と繰り返される喜びより重要となります。その魂はメモリーバンクに喜びの生涯と苦難の生涯を持つので、問題ではありません。利己的習慣、あるいは共感に基づく習慣に傾く人を導くことが、可能な来るべきポール・シフトの間の体験は、問題の核心、戦場であり、この時期に地球を訪れている全ての異星人達の焦点です。
- 来るべきポール・シフトの間、悪意者の異星人達は、彼等の指向性の方向に傾くように、人間達を導くことになるので、人間達の中に★絶望と自暴自棄の意識を増加しようとします。彼等は転向者を探しています。善意者の異星人達は、同様に、彼らの指向性に向かって、人間に影響を与えようとしているので、人間達の間に思い遣りのある行動を奨励しようとしています。互いへの思い遣りのある対応は、必ずしも今日の生活様式、もしくは生命を維持することを意味しません。それは近い将来に起こる事の容認と共に静かで、速やかな死を意味するかもしれません。